ここにいることがうれしい

糸井重里――「考える人」2009年秋号特集「活字から、ウェブへの……。」
http://www.shinchosha.co.jp/kangaeruhito/high/high132.html
《お客さんがたくさん来るか、来ないかという問題では、手招きして呼び寄せる方法ばかりが語られているような気がしますね。手招きする筋肉ばかり発達させても、長続きしないんですよ。たぶんいつかくたびれてくる。

 女の人は、靴を買いに行くときに、三軒寄ってみたけどやっぱりやめた、ということがあり得ますよね。でも、五十歳前後の、会社勤めの忙しい管理職の男だと、一軒目で『せっかく買いにきたんだからこれでいいや』と買ってしまうんですよ。前者と後者とでは、かけているコストと情熱と知識に、ものすごい差があるわけです。しかし靴をつくっている現場の上司っていうのは、あきらかに後者なんですね。

 靴を探して三軒まわった女の人が四軒目に入った店が、表通りではなくて、よっぽど目的があって来ないかぎり誰も通らないような場所にあったとします。でもその小さな店に、まさに彼女がイメージしていたような靴があったとする。彼女はいずれまたこの店に来るでしょう。しかし靴を買うのなんて面倒くさいことでしかない、買い物の楽しみを忘れた男なら、路地裏にある小さな靴屋を見て、『こんな場所じゃ商売にならんだろう』って必ず言いますよ。肝心の売っている靴の様子とか、お店の人の対応とか、店のなかの雰囲気とか、まったく見もしないで。

 そういうことを言う人は、いつもお客さん以外の人たちなんです。買いに来ない人、お客さんではない人が言うんですね。売っているものの魅力なんて、考えもしないし、わからない。路地裏に誰が来るんだって言うけど、いっぽうで駅前がシャッター商店街になっていたりするわけです。いちばんの人通りのある、昔だったら無条件で地価も高かった場所が、もうはやらない。それはどうしてなのか》