異例――2010年03月30日

警察庁長官狙撃:「オウムのテロ」 会見で警視庁公安部長
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20100330k0000e040036000c.html
《警視庁の青木五郎公安部長は会見し「オウム真理教の信者グループが松本智津夫麻原彰晃)死刑囚の意思の下、組織的・計画的に敢行したテロと認めた」と発表した。その上で「犯人に法の裁きを受けさせることなく時効を迎えたことは誠に残念」と述べた。警視庁が時効事件で所見を示すのは初めて。南千住署捜査本部は30日午後、容疑者不詳で東京地検に書類を送付し捜査を終結した。
 ……概要では教団幹部ら8人をアルファベットで記載し捜査結果を評価したが、「可能性が高い」「推認される」などあいまいな表現で関与を指摘した。報道陣からは「あいまいな根拠で犯行グループと断定し、公表するのは人権侵害にあたるのではないか」との質問が相次いだ。青木部長は「15年間、48万人を投じた捜査について国民に説明する必要があると考えた。オウムによるテロの悲劇を二度と繰り返さないことが大事で、人権にも配慮して公益性の観点から判断した」と述べた。
 ……捜査結果概要は31日から1カ月、警視庁のホームページに掲載される。》

▼長官銃撃「教団内にうわさもなかった」…元オウム
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100330-OYT1T00670.htm
オウム真理教は、松本智津夫死刑囚の死刑が2006年9月に確定した後も活動を続け、07年5月に主流派の「アレフ」と、元教団幹部だった上祐史浩氏(47)を代表とする「ひかりの輪」に分裂。
 警察庁などは、両派をあわせた信者数は現在、1500人に上るとみている。
 「ひかりの輪」の上祐代表は、銃撃事件の時効が迫った今月22日付で報道各社にコメントを発表。その中で「事件については全くわからない」とした上で、教団が関与したとの見方について「凶器を自作してきた教団が、この事件だけ既製の拳銃を使うことに疑問を感じる」と、警視庁の捜査に疑問を投げかけている。
 一方、現在も道場に松本死刑囚の写真を掲げるアレフは30日午後、荒木浩広報部長が記者会見し、「一種の冤罪(えんざい)とも言い得る事件。残念に思います」と話した。
 「地下鉄サリン事件などの流れがあり、教団が疑われても仕方ない事情はあった」。元教団「車両省」大臣で、アレフを09年3月に脱会したという野田成人さん(43)は今月9日、読売新聞の取材にそう話し、「ほかの事件については教団内でもうわさが広がったが、銃撃事件についてはまったく聞かなかった。教団の犯行と断定するには無理があるのでは」と述べた。》

▼「この国は終わるんじゃないか」…よど号乗っ取り犯メンバー どん底北朝鮮生活を目の当たりに
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100330/crm1003300104001-n1.htm
《「この国は終わるんじゃないかと思った」。北朝鮮に残るよど号乗っ取り犯のメンバーは、最近面会した関係者にそう振り返ったという。北朝鮮で200万〜300万人の餓死者が出たとされる1990年代後半の飢饉(ききん)を指しての言葉だ。事件から40年。よど号犯らの北朝鮮での生活とはどんなものだったのか。
 関係者によると、平壌市郊外の「日本人革命村」で庶民とは隔絶した生活を送ってきた彼らが飢饉当時、北朝鮮で聖山とされる白頭山にドライブに出かけた。革命村から一歩出て、急激に増えた物ごいに転落した一般市民の数に驚いたという。
 経済難の影響はやがて革命村にも及ぶ。自宅に電気が来なくなり、真冬に暖房が止まった。朝起きてネズミが凍死しているのを目にした。その瞬間、北朝鮮の最後を感じたのだという。
 昨年11月に実施されたデノミネーション(通貨単位の切り下げ)後にメンバーは「えらい打撃を受けた」と別の関係者に打ち明けた。外貨を自由に使える分、闇レートの利ざやで潤ったが、デノミ後の北政府による外貨使用禁止や闇レートの乱高下が影響したとみられる。だが、「あの(飢饉の)ころと比べれば、経済は持ち直し、生活に困ることはない」とも関係者に話している。
 彼らがいかに庶民とかけ離れた生活を送っているかを物語るひと言も漏らしている。「理髪店に行く以外はほとんど(現地通貨の)ウォンを使ったことがない」》