2018年08月26日のニュース・クリップ

豪、2代続けて女性外相 ビショップ氏の後任にペイン国防相 新内閣の陣容発表 - 産経ニュース

オーストラリアのモリソン首相は26日、首相交代に伴う新内閣の陣容を発表した。アボット、ターンブル両政権で外相を務めたビショップ氏が辞任を表明、後任にペイン国防相が起用された。2代続けての女性外相となる。24日の与党自由党党首選でモリソン氏に敗れたダットン氏が内相に返り咲く。新内閣は27日以降に発足する。

中国通信機器2社を入札から除外 日本政府方針 安全保障で米豪などと足並み - 産経ニュース

政府が、安全保障上の観点から米国やオーストラリアが問題視する中国通信機器大手2社について、情報システム導入時の入札から除外する方針を固めたことが25日、分かった。……対象となるのは、華為技術(ファーウェイ)と中興通訊(ZTE)。両社に対しては、米政府が全政府機関での製品使用を禁じているほか、オーストラリア政府が第5世代(5G)移動通信整備事業への参入を禁止するなど、除外する動きが広がっている。

野口英世奨学金の給付開始 NYの日本人医師ら創設 - 共同通信

福島県出身の細菌学者、野口英世(1876~1928年)の功績をたたえ、在米の日本人医師らが設立した「ニューヨーク野口英世記念会」は25日、野口の没後90年に合わせて創設した奨学金制度の給付を始めると発表した。米国で医学を研究する日本人が対象。

画家の藤田嗣治 テープに晩年の肉声を録音 | NHKニュース

藤田嗣治は、明治19年、西暦1886年に東京で生まれ、当時の東京美術学校で洋画を学びました。
大正2年、26歳で単身、フランスに渡り、ピカソやモディリアニなどと競うように作品を発表して、第一次世界大戦後のパリの画壇で活躍しました。……藤田はその後、中南米などを旅しながら濃厚な色彩の新たな画風にも挑み、昭和8年、1933年に日本に戻りました。……戦後、画家の戦争責任が問題となるなかで藤田は日本を離れる決意を固め、昭和24年にニューヨークに発ったあと翌年、パリに落ち着き、再び日本に戻ることはありませんでした。
藤田はその後、フランス国籍を取得して74歳のときにパリ郊外の農村に移り住み、1968年の1月に81歳で亡くなりました。

エアギター世界選手権、名倉七海さんが2度目V:朝日新聞デジタル

フィンランドで24日に開かれたエアギター世界選手権で、日本から出場したタレントの名倉七海さん(23)が優勝した。名倉さんの優勝は2014年以来2度目。……同選手権では、お笑いコンビ「ダイノジ」の大地洋輔さんも06、07年に優勝している。