1998年の金融危機――日銀議事録より

▼日銀議事録:総裁、全大手行に破綻の懸念抱く 98年9月
http://mainichi.jp/life/money/news/20090128k0000e020012000c.html
《日本の金融システム不安が高まっていた98年9月9日の日銀・金融政策決定会合で、当時の速水優総裁が「大銀行19行ですらデフォルト(債務不履行)を起こしかねない」と発言、全大手行に破綻(はたん)の懸念を抱いていたことが28日、日銀が公開した決定会合の議事録で明らかになった。
 19行のうち破綻したのは、経営危機に陥っていた日本長期信用銀行(98年10月破綻、現新生銀行)と日本債券信用銀行(98年12月破綻、現あおぞら銀行)の2行だったが、両行以外の破綻リスクも金融当局が考慮する極めて緊迫した事態だったことが分かった。
 日銀はこの日の決定会合で政策金利を従来の「年0.5%をやや下回る水準」から0.25%前後に引き下げ、約3年ぶりの利下げに踏み切った。速水総裁は利下げを提案する理由の説明で大手行の破綻懸念に言及した。
 速水総裁は「大銀行がつぶれるような事態になれば、連鎖反応は相当大きい。ドミノ現象のような状態が起きることは間違いない」と憂慮を表明。「長銀でも海外に30店、邦銀全体では5600店が海外にあり、海外への影響を常に考えておく必要がある」と、破綻による混乱が世界に波及する恐れを指摘した。
 巨額の不良債権を抱えた長銀の経営不安は、日銀が利下げに踏み切った決定会合の約3カ月前に当たる98年6月に表面化。国会で長銀処理の法案策定が難航したことに加え、長銀以外の大手行の財務内容に対しても市場に疑念が広がり、金融システム不安を背景に銀行株が軒並み急落していた。
 その後は、98年10月に成立した金融機能早期健全化法に基づき、政府は99年3月、総額7.5兆円の公的資金を大手行に資本注入。大手行は経営統合を通じて主要3グループを軸に再編された。
 決定会合の議事録は開催から10年後の公開が日銀法で定められている。公開は昨年7月に続いて2回目。》

▼利下げ、長銀日債銀の破綻に身構え 98年7―12月決定会合
http://www.nikkei.co.jp/news/keizai/20090128AT2C2702728012009.html
《日銀は28日、1998年7―12月に開いた金融政策決定会合の議事録を公表した。バブル崩壊後の経済低迷でデフレの危機が忍び寄り、銀行が抱える不良債権の重みで金融システム不安が一気に高まった時期。日銀が急速な景気悪化に衝撃を受け、9月には3年ぶりの利下げに動き、日本長期信用銀行日本債券信用銀行の破綻に身構える姿を明らかにした。景気後退と金融不安に揺れた10年前の日銀の苦悩は、いま再び逆境に直面する姿と重なり合う部分が多い。
 議事録は98年4月施行の新日銀法に基づいて公開される。同法は決定会合の議事録を「相当期間経過後」に公表するよう定めており日銀は会合の10年後の公表を決めている。日銀はふだん決定会合の約1カ月後に議事内容を要旨として発表しているが、発言者と議事内容の詳細は議事録で初めて明かされる。》

▼利下げの背景に長銀破綻懸念 98年日銀決定会合議事録
http://www.asahi.com/business/update/0128/TKY200901280044.html
日本銀行は28日、98年7〜12月に開かれた10回分の金融政策決定会合の議事録を公表した。同年4月に施行された新日銀法下で初の利下げを9月に決断した際には、旧日本長期信用銀行(同年10月破綻(はたん)、現・新生銀行)を震源とする金融システム不安を強く意識していたことが明らかになった。議事録の公表は昨年7月に次いで2度目。
 「資金量20兆円の大銀行がつぶれたケースは過去にあまりなく、つぶれるような事態になれば連鎖反応は相当大きい。市場、取引先にとどまらないドミノ現象が起きる」
 利下げを決めた9月9日の会合で、速水優総裁(当時)は長銀について危機感をあらわにした。当時、長銀住友信託銀行と合併交渉を進めていたが、協議は暗礁に乗り上げかけていた。
 「日本の金融システム不安が、繁栄のオアシスにいる米経済に影響を与えつつある」とのグリーンスパン米連邦準備制度理事会議長(当時)の発言も速水総裁は紹介し、「手を打たねばならないという若干の焦りも感じる」と付け加え、米側への配慮もにじませていた。政策金利である短期金利の誘導目標を年0.5%から0.25%に引き下げることを提案し、賛成多数で利下げが決まった。
 速水総裁は会合後の会見では「(利下げの)第一の理由は実体経済の悪化」として、景気後退と物価下落が進むデフレスパイラルを防ぐねらいを強調していた。長銀はその翌月に破綻。12月には旧日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)も破綻し、日銀は99年2月にゼロ金利政策、01年3月に量的緩和政策の導入に進むことになる。
 企業の資金繰り支援策を検討する過程では、日銀の財務悪化への懸念が続出。「企業金融を直接念頭に置いたアクションは厳に慎むべきだ。日銀の枠をはみ出る危惧(きぐ)を持っている」(11月13日、中原伸之委員)などの意見が出た。98年11月に日銀が決めた支援策は金融機関向けの臨時貸出制度などで、企業のリスクを直接引き受ける対策は含まれなかった。》

▼大手行の連鎖破綻を懸念=日銀総裁、危機感募らす−98年後半の決定会合議事録
http://www.jiji.com/jc/c?g=eco_30&k=2009012800056
《日銀は28日、1998年7〜12月に開いた金融政策決定会合の議事録を公開した。日本長期信用銀行(現新生銀行)が破綻(はたん)する直前の同年9月9日、速水優総裁(当時)が「大銀行19行ですらデフォルト(債務不履行)を起こしかねない。つぶれるような事態になれば、連鎖反応は相当大きく、ドミノ現象のような状態が起きることは間違いない」と危機感を募らせていたことが分かった。金融危機が深まる中で、日銀の焦りが浮き彫りになった。》

▼総裁「長銀だけでは済まない」 98年後半の日銀議事録
http://www.47news.jp/CN/200901/CN2009012801000127.html
《日銀は28日、1998年7−12月に開かれた金融政策決定会合の議事録を公開した。98年9月24日の会合で速水優総裁(当時)が、旧日本長期信用銀行不良債権を抱えて経営危機に陥ったことについて「長銀の処理のみで事が済むものではない」と懸念し、長銀破綻前から他の大手行も再編は避けられないとの見方を示していたことが分かった。
 長銀は会合の翌月の10月に経営破綻し、12月には旧日本債券信用銀行が破綻したことで金融不安が一段と強まっていった。
 速水総裁は当時19あった大手行について「平均で資本勘定は4%しかない」と指摘。「4%という過小資本でやっていけるはずがない。再編なしに問題は治癒されていかない」との考えを示した。
 さらに「破綻前に(公的資本を)注入することによって合併などの金融再編を進め、時間がたてば生き返ってくるようにすることが必要」と強調した。
 速水総裁は9月9日の会合でも「つぶれるような事態になれば、連鎖反応は相当大きい。他行あるいは市場への影響、取引先にとどまらないドミノ現象のような状態が起きることは間違いない」と警戒感を示していた。》

▼日銀が98年後半の議事録公表、速水氏は長銀破たん懸念に危機感
http://jp.reuters.com/article/businessNews/idJPJAPAN-36123120090128
《日銀は28日、金融政策決定会合の議事録のうち、1998年7月から12月までの部分を公表した。その中で3年ぶりに金融緩和に踏み切った1998年9月9日の金融政策決定会合では、速水優総裁(当時)が経営危機に陥っていた日本長期信用銀行長銀)の破たんが国内外に及ぼす影響に強い危機感を抱いていたことが明らかになった。
 <長銀潰れればドミノ現象
 長銀は同年6月に経営危機が表面化し、10月に一時国有化された。この年は12月に同じく経営危機に陥っていた日本債券信用銀行も一時国有化されたほか、海外でも米ヘッジファンドロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が事実上破たんするなど、金融システム不安が広がった時期で、実体経済もデフレ・スパイラルに陥る瀬戸際にあった。
 そうした中で9月9日に開催された会合では、無担保コール翌日物金利の誘導目標を「公定歩合(年0.5%)をやや下回る水準」から年0.25%前後に引き下げるとともに「金融市場の安定を維持する上で必要と判断されるような場合には、コールレート誘導目標にかかわらず、一層潤沢な資金供給を行う」との「なお書き」を追加。金利と量の両面での緩和姿勢を鮮明に打ち出した。
 速水総裁はこの日の会合で「6月ごろから長銀問題が出始めて、マネーセンターバンクというか内外に大きく網を張って仕事をしている大銀行19行ですら、デフォルトを起こしかねないという、考えられもしなかったことが現実化しつつある」と懸念を表明。その上で「資金量20兆円もの大銀行がつぶれたケースは過去にあまりないわけであり、破たんに対していかなる手を打つのか、何が起こるのかすら前例がないだけに見通しも非常に立て難い」と指摘。「つぶれるような事態になれば、その連鎖反応は相当大きいと考えざるを得ない。他行への影響あるいは市場への影響、取引先にとどまらないドミノ現象のような状態が起きることは間違いない」と危機感をあらわにした。
 さらに「長銀でも海外に30の店を持っており、邦銀全体では5、600の店舗や現法が海外にあるわけであり、海外への影響を常に考えておく必要がある」とも述べ、問題の広がりを相当警戒していた姿も浮き彫りになった。
 <長銀だけでは収まらず>
 速水総裁は9月24日の会合でも「9月9日直前には、このままでは市場が持たないという感じがしていた。1日遅れればそれだけ市場の情勢が悪くなっていくことが明らかにみえてきた。そこで緩和の決断をした」と述べ、金融緩和の背景に金融システム不安があったことをあらためて説明した。
 その上で「3月の19行の貸出残高は365兆円だが、これに対して資本勘定は、かなり広く内部留保をみても14兆7000億円であり、19行の平均で資本勘定は4%しかない。したがって長銀の処理のみでことが済むものではない」と語り、経営問題は長銀だけでは収まらないと踏み込んだ認識も示していた。
 <必要に応じてゼロ金利容認も>
 9月9日の会合では、一部の委員から必要に応じてゼロ金利を容認する意見が出されていたことも明らかになった。中原伸之委員が「必要があればコールレートがゼロになってもかまわないと思っている」と発言したほか、武富将委員も「今後は平常ではないことが起きる確率が高い局面に入ったと判断しており、瞬間風速ゼロということも念頭においている」と説明。さらに植田和男委員も当初、「コールレートの誘導水準を例えば0─0.3%程度の範囲に設定し、その中で当面は0.3%を少し下回る程度の水準を目指す。必要に応じて機動的に誘導水準を下げていく」との案を説明するなど、程度の差こそあれ、委員の間で危機感が共有されていた様子がうかがえる。》

金融政策決定会合議事録等(1998年7月〜12月開催分)
http://www.boj.or.jp/type/release/teiki/gijiroku/data/gjrk.htm