朝日襲撃事件

▼朝日支局襲撃事件:週刊新潮手記を否定 島村氏と一問一答
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090409k0000m040154000c.html
朝日新聞阪神支局襲撃事件などの「実行犯」として週刊新潮に手記を掲載していた島村征憲氏(65)が「自分は阪神支局襲撃事件当時、北海道にいて現場には行っていない」などと手記とは違う内容を話したことは、同誌の裏付け取材の不十分さを浮き立たせた。島村氏は現場の様子を同誌記者の誘導で語ったでっちあげと主張するが、編集部は全否定しており、告白者と掲載誌が対立する異例な展開になった。

 島村氏が毎日新聞に語った一問一答は次の通り。
 −−朝日新聞阪神支局を襲撃したか。
 「やってない。事件当日は娘と室蘭港(北海道)に船を見に行った。しかし、実行犯のことは知っている」
 −−実行犯は誰か。
 「ヤクザ時代の舎弟と若い衆にやらせたが、病気と自殺で2人とも死んだ」
 −−手記には「私が襲撃した」とあるが。
 「新潮記者に『私が質問しますからこの通りに答えてください』と紙を渡され、テープで録音されながら書いてある通りに話した」
 −−想定問答で実行犯と答えたのか。
 「『自分がやった』とは言っていない。『(事件の)中心人物はおれですよ』とは答えた。『おれがやったと思っているんなら、これ以上話はできないよ』と何度も言った」
 −−手記は4週続いている。
 「最初の記事を見て怒り狂って記者のほおをはたいたの。『言ってもいないことを、納得できんぞ』と。だけど、引っ込みがつかなくなった。新潮には『オレのケツを持てよ(面倒をみろよ)』と注文を付けた」
 −−大物右翼の故児玉誉士夫氏からもらった数珠を新潮が分析したら、犯行声明文に付着していた繊維片と同一性が高いとの記述があったが。
 「あれは、別のオヤジからもらったもの。数珠のくだりを記事で見てびっくりした。数珠を(記事に)使っていいですかと聞くことすらしないんだから。他社も騒いでいるし、これだという物証が欲しかったんだから」
 −−謝礼は。
 「ホテル代と食事を提供してくれた。1回掲載につき20万円、月刊新潮45を含め計90万円をもらった」
 −−後悔しているか。
 「後悔なんてもんじゃない。乗ったおれはバカだけど、乗せたやつはもっと許せない」

     ■手記の主な内容■
 私は87〜88年、朝日新聞の東京本社、阪神支局、名古屋本社寮の襲撃と静岡支局爆破未遂の四つを実行した。
 犯行は在日米国大使館職員から「朝日を狙ってくれ」と依頼された。動機はカネで、大使館職員から散弾銃と実弾のほか数百万円の現金などを受け取った。
 87年5月の阪神支局襲撃では、オートバイ「ホンダ400CC」を使い、以前に主宰していた右翼団体にいた男ら3人が見張りや運転を担当した。支局には3人の記者がいた。2人を「水平二連式の散弾銃」で撃ち、テーブルの上にあった緑色の手帳を持ち帰った。赤報隊を名乗る犯行声明文は右翼の野村秋介氏(故人)に依頼し作成してもらった。

 ◇週刊新潮の手記をめぐる経緯◇
1月29日 島村氏の手記を掲載した新潮発売
      朝日新聞が「客観的事実と異なる」と記事
2月5日 手記2回目発売
  12日 手記3回目発売
  19日 手記4回目発売
  23日 朝日新聞が「虚言 そのまま掲載」との検証記事を掲載
  同  「犯行を依頼した」とされた元在日米国大使館員の男性が新潮に訂正と謝罪要求
  26日 新潮が「事件を検証できるのは警察当局のみ」とする反論記事を掲載
3月19日 元米国大使館員の男性が新潮と和解
4月1日 朝日新聞が2回目の検証を掲載。「放置できぬ虚報」と、新潮に訂正と謝罪を要求
  7日 新潮が「本人が手記を否定するかのような発言をしている」と報道機関にファクス》

▼朝日支局襲撃事件:証言裏付け、ほぼ無理
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090409k0000m040156000c.html
《島村氏は毎日新聞の取材に対しても「舎弟と若い衆に襲撃させた」と朝日新聞阪神支局襲撃事件に関与したことを強調するが、その証言の信ぴょう性を解明することは無理に近い。
 「共犯」の舎弟と若い衆は既に死亡。「犯行を元在日米国大使館職員から依頼され、約5000万円の振り込みがあった」と話すが、肝心の通帳は「見当たらない」。当の元職員は毎日新聞の取材に「事件当時は島村氏を知らなかった。電話のやりとりはあったが、直接会ったのは09年1月が最初」と証言を全否定する。島村氏は、元職員と直接会うことにも難色を示す。
 新潮は島村氏の話を信じたとみられるが、どれだけの裏付け取材をし、どの程度の確信を持って手記を掲載したのか、明らかにすべきではないか。事件の究明は報道機関にとって重要な役割で、新潮が未解決事件に取り組んだことは評価できるが、これからは「信じた根拠」を公にする必要がある。
 未解決事件を巡っては、約10年前にも東京都府中市で68年に起きた3億円事件の犯人と名乗る男性が週刊誌で告白し、別の週刊誌が信ぴょう性を否定する騒ぎがあった。未解決事件の週刊誌報道の中には「関係者が死亡した」として、捜査機関さえ裏付けが取れない記事も散見される。阪神支局襲撃事件で殺害された小尻知博記者(当時29歳)の遺族の苦悩を考えれば「島村氏のテープがあるから真実だ」などの中途半端な言い訳では済まされない。》

▼朝日支局襲撃事件:「想定問答、用意せず」週刊新潮
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20090409k0000m040155000c.html
朝日新聞阪神支局襲撃事件など一連の警察庁指定116号事件(03年3月までにすべて時効成立)で、週刊新潮に「実行犯」として手記を寄せた島村征憲氏(65)が、毎日新聞などの取材に応じ、自らが実行犯だったことを否定した。

週刊新潮編集部コメント全文 
(1)実行犯否定について 島村氏は小誌の取材に対し、今日まで一貫して自分が実行犯であると話してきました。この証言内容は、島村氏のインタビューを録音したテープによって証明することができます。しかし、島村氏本人が自らの手記を否定するかのような不可解な発言をしていることが明らかになったことにより、週刊新潮編集部は手記を載せるに至った経緯等について、4月16日発売号に記事を掲載致します。
(2)取材手法について  島村氏のために「想定問答」を用意したことは全くありません。また、そのような取材手法を取ったことは一度もありません。小誌の取材に対する島村氏の証言は記事に掲載した通りです。この証言内容は、島村氏のインタビューを録音したテープによって証明することができます。
(3)便宜提供について  島村氏の宿泊場所を用意したのは事実です。連載が終了するまでの間は、連日の取材のためであり、連載終了後は、追跡取材のためにそのような措置をとりました。記事の原稿料として、1回につき20万円を支払ったのは事実です。》

▼自称襲撃犯が手記否定発言か 新潮社、朝日新聞社に書面
http://www.asahi.com/national/update/0408/TKY200904070360.html
朝日新聞阪神支局襲撃(87年5月)など一連の本社襲撃事件の実行犯を名乗る島村征憲氏(65)の手記を週刊新潮が連載した問題で、同誌編集部は7日、島村氏本人が手記を否定するかのような趣旨の発言をしている、との書面を朝日新聞などの報道機関に送付した。同誌編集部は、今月16日に発売する23日号誌面で、手記の掲載に至った経緯を説明するとしている。
 書面はファクスで送られてきた。同誌編集部は「連載終了後も追跡取材を続けてきましたが、島村征憲氏本人が自らの手記を否定するかのような不可解な発言をしていることが明らかになりました」と書面に記している。同誌編集部は「文面以上のことは今は答えられない」としている。朝日新聞は、記事内容に真実性はないとして同誌編集部に3月、記事内容に関する質問書を2回にわたって送ったが、同誌はこれまで早川清編集長名で「小誌の見解はすでに誌面に掲載しております」と答えるにとどめていた。
 同誌は2月5日号から4回にわたり、「実名告白手記 私は朝日新聞阪神支局』を襲撃した!」と題し、島村氏が一連の襲撃事件の実行犯だとする記事を連載した。
 一方、朝日新聞記者は06年に島村氏と面会しており、他の取材結果とも合わせて検証した結果、手記には事実と異なる点が数多く含まれ、真実性はないと判断した。また、手記の中で「犯行を指示した」とされた元米大使館職員の男性が朝日新聞の取材に対し、「事件当時は島村氏の存在すら知らなかった」と事件への関与を全面否定。この男性が同誌を発行した新潮社を訪れて抗議したのに対し、同社は3月19日、金銭を支払うことで男性と和解している。 》